- 2010年4月25日 23:52
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生まれてこのかた入院や手術をするような
大きな病気や怪我もなく生きてこられることができましたが、
子供の頃から小さな怪我はしょっちゅうでした。
小学校のアスレチックでは、
地面に半分埋めてあるタイヤや、
無造作に並べてある木製の大きな樽から樽へと飛び歩いたりして遊んでいました。
ある?の日、いつものように樽の上を飛び回っていたところ(少々の雨ならかまわず外で遊びます。)
濡れた木樽にツルリと足を取られ転んでしまいました。
メチャメチャ痛かったんですが、
痛いのを無かったことにするのが得意だった僕は
しばらく踞った後、
「よし、イケる!」
まるで何もなかったような顔をして立ち上がりました。
すると心配して周りに集まってた友達が
僕の足もとを唖然として見つめているではないですか。
女子の中には恐怖に顔を歪めワナワナと泣きそうになっているものも..
「かおちゃん、そ、その足...」
「ん?」
何と、僕の丁度"弁慶の泣き所"の辺りがパックリ開いて
白い骨が覗いているではないですかーーー!!
ターミネーターの傷口から機械が見えてしまっているように
歩くと中で骨が動くのが見えるんです..
転んだ拍子に樽の角でぶつけたんでしょう..
正直焦りました。
「こ、こんなん全然平気ぢゃ!!」
と粋がってみたものの心の中では、
「神様、おじいちゃん、おばあちゃんごめんなさい..もうしません助けて下さい。」
と、必死で訳の判らないことを唱えていました。
幼少のころよりお年寄りに囲まれ育てられたからでしょう。
ちなみにこのおまじないは(おまじない?)よく効くので、
大人になった今でもちょいちょい唱えることがあります。
保健室で何針か縫われた後、教室へ戻った僕はヒーローになっていました。
あの年頃ではケガをして包帯なんか巻いていると
スッゲーかっこいいーー!!
と、尊敬のまなざしで見られることがあります。
なぜなんでしょうね..?
他にも
運動場の隅にある水飲み場の上に登ってはしゃいでいたところ
後ろ向きに落ちて後頭部を強打し、
一瞬遠くへ行きかけたことなんかが懐かしいです。
後頭部が人よりちょっと出ているのは
あれ以来コブが引っ込まなかったからでしょう。
そうそうこんなことも
僕の通っていた小学校では、
毎週土曜日給食を終えた後、生徒は運動場に集められ
校長先生のお話を聞いてから下校しなければなりません。
その日は雨が降っていました。
僕は、同じグループの先頭に立ち、
旗を持って引率していく立場にあったにもかかわらず
先生の話などはまったく聞かず
傘を空高く放り投げては
「ねぇ、見て見てパラシュートーーー!!」
などといってふざけていたところ
弧を描きながら落ちてきた傘の骨組の先端が
自分の目元に直撃しました。
これも死ぬほど痛かったです..
勿論、ここでも僕は平気な顔をしながら
こっそり例のおまじないを唱えました。
その後しばらく大人になるまで
涙腺の穴をてっきりその時出来た傷跡だと信じていたことは
言うまでもありません...
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