■□■ 二十一世紀のダンス・ミュージック ( 沖野修也 ) ■□■
 九〇年代後半のダンス・ミュージックの世界では、六〇年代から七〇年代の音楽を検証し直した上で、新しいサウンドを創造する試みが繰り返された。
 六〇年代のサントラやイージー・リスニングは、クラブ・サウンドとしてリメイクされ、「ラウンジ」なるジャンルを確立したし、ヒップ・ホップは七〇年代 のフュージョンにサンプリング・ソースを求め、ハウスはアフロ・テイストを導入する事でリズムの多様性を志向した。最先端の音楽と呼ばれるテクノにでさ え、七〇年代ジャズとの融合が現象として起こりつつある。未来は現在の延長上にしか存在し得ないとすると、二一世紀のダンス・ミュージックを予測する上で 九〇年代のダンス・ミュージックの歴史を無視する事はできない。
 サンプリング(=過去の楽曲からフレーズを切り取り、リサイクルする行 為)、という概念が八〇年代によって発明されてから、ダンス・ミュージックは 常にDJがイニシアチブを取る事によってクラブという空間で生成されてきたと言っても過言ではない。楽器も弾けない、楽譜も読めないDJ達は、自分達のセン スだけを頼りに新しいサウンドを探し続けてきたのだ。音楽的な知識や先入観が 無い分、DJは自由だった。その柔軟な発想が、この一〇年でダンス・ミュージッ クを飛躍的に発展させてきたのではないだろうか。
 決してDJは音楽的なものを否定していた訳ではないが、快感を循環(ループ)させる事によって快楽の増幅を追及してきた。その反復が従来のミュージシャンに とっては音楽的ではなかったのかもしれない。
 しかし、九〇年代の後半にはDJは生演奏やボーカリストとのコラボレーションを経て、あらかじめ人間的な部分を含んだトラック作りを目指すようになる。確 かにDJは音楽的でない手法で新しい音楽を産み出してきた。サンプリングと打ち込みによって構築されたグルーブが世の中を席巻したのも事実だが、タブー無き DJの実験精神が、その次のステップを目指す時期が来たのだ。プログラムされたダンス・ビートの完成を終えたDJが、「音楽的」という未知の領域に足を踏み入 れたのだろう。DJはより豊かな表情を持つサウンドをクリエイトし、ダンス・ミュージックとしてのクオリティーを保ちながら、音楽としての充実感を手に入 れるに違いない。
 この先、考えられるケースとしては、シーケンスしていたシンセサイザーをソロ楽器として捉え直す、「ジャズ・テクノ」や黒人的なソウル・ミュージックが テクノと結びついた「テクノ・ソウル」といった意外な組み合わせが挙げられる。また、テクノとは逆にネイティブなレゲエやラテンがクラブで再生されスタ イリッシュなダンス・ミュージックとして生まれ変わる可能性も大きい。要するに、DJの意識改革により、ハイテクなサウンドはより肉感的に変化し、プリミ ティブなグルーブがテクノロジーの洗礼を受ける事になるだろう。
 二一世紀のダンス・ミュージックシーンにおいては、DJ感覚(サンプリング、ループ、ブレイク、ビーツ、シンセサイザー)と音楽的なるもの(コード、声、 メロディ、生演奏)がさらに深く結びついてゆく事だろう。相反する者同士の対立を克服した後のクリエーターの境地に新しい音の風景が広がるのだ。
 九〇年代から受け継がれるジャンルを超えた異種配合が昇華し、スピリチュアルな音楽のMIXが必ず生まれるはずだ。
これからどうなる21―予測・主張・夢― 岩波書店編集部編
岩波書店 定価(本体1900円+税)より 1998年刊